子供の頃、記憶に染み込んだ一つの邦画のシーンがあった。映画のタイトルも話の展開さえ覚えず、ただその豊かな色に染められたシーンを覚えている。真夜中の神々の行進、妖怪達と一緒に浮かぶ灯籠、彼らが残した奇妙な音楽の軌跡、そして私を誘惑するような踊りに魅了された。その光景が子供であった私に深く印象を残したが、長年にわたって、生活の雑音の中に埋もれ、記憶の奥に忘れ去られた。
そして最近、その記憶が引き出された…
…秋田竿灯まつりとの出会いのおかげで。
夏の日本というのは再生した生命のように活気に満ちあふれている。国のどこまでも次々と行う祭りに輝かされ、終わらない花火大会みたいに。そして今年、これらの注目された祭りの中である秋田竿灯祭りに体験することができた。
しかし正直に言うと、この二年間周りにあった祭りを何回かに参加することもあったので、あんまり期待はしなかった。日本の祭りはすでに見事であり、それより派手な祭りを想像できなかった。
それはなんと甘い考えだった。
灯籠が参加者の肩に沿って揺れながら、彼らの熱意を反映するよう輝いている。周りからの沸き出る興奮を感じ、この祭りは今まで見たのと遥かに違うこと私にはわかった。
音楽は燃え上がり、灯籠は夕空に舞い狂う蛍のように空へ向かって高く上がって行く。まるでみんなの息が数百本の蝋燭に吸い込まれたかのようで、主役の役割を奪っていく。自分が神隠しに遭ったほどの、言葉で表すことができない光景だった。
何年も前に心に刻まれたシーンのように、妖怪のパレードを見ているようだった。自分もその行列の一部のように感じて、周りに興奮と畏敬が湧き上がった。もし空気が生きものだとしたら、そして興奮から震えることができるのなら、それはまさにこの夜の竿燈祭りのようになるだろう。
太鼓の鼓動は、私の一部になって、私の静脈を通る脈拍と一つになった。多様な個性を持つ数百本の笛の高い響きが鳥の群れの鳴き声のように混ざり合った。看客の歓声と支援者の気合。夜そのものは生きていた。
現実に戻ってから初めてこの祭りに参加している出演者たちはどれだけの労力が費やされているのかを理解できた。
各竿灯の重量は平均50キロ、そしてただ一人の男に支えられている。それだけではなく、彼らは片手の手のひらの、額、まだは腰を使って竿燈を上げた。これは単なる力だけの話でなく、バランスをとるのも不可欠だ。
その日は風も非常に強く、竿燈をあらゆる方向に吹いていた。これは観客にとっては素晴らしいショーになったが、竿燈の持ち主にとっては大変な闘争になった。
そして、竿燈は容赦ない風に負けて、落ちたしまったことがあった― 出演者の苦痛に、観客の喜びに。言い訳はしませんが、竿燈が落ちた瞬間は本当に劇的な光景だった。しかし驚かせるのは、出演者が毎回素早く立ち直ること。何が起こっても、彼らは前と同じような情熱をもってパフォーマンスを続いていた。
一回、非常に激しい風が吹き荒んだせいで、竿灯が我々の注意を要求する稲妻の亀裂のように、二つに割れてしまった。
「これじゃあ彼らはもう立ち直ることができないじゃないか」だと思った瞬間、支援者たちはすぐに助けに駆けつけて、奇跡を起こしたようになんとかその竿燈を直した。彼らの精神に感動し、この不滅の決意がまさにこの祭りの魅力だと気づいた。
竿燈祭りは元々豊作を祈るための祭りであって、実際にこの光景を目にするとその理由はすぐに納得できた。夜に舞い上がる竿燈は、小麦畑を通り抜ける微風のような、神秘的な風景を作り上げた。もし空から見下ろしていたら、揺れる竿燈は神様にとって小麦畑のように見えるでしょう。
この祭りから、私がなぜこんなに日本が好きかの理由を思い出させた―近代化になりつつにもかかわらず、日本は文化と伝統を重視し、文化を守るために努力しているからだ。秋田の竿燈祭りは、日本人が日本に対する愛と尊敬の声であり、これからもこの情熱を決して忘れられない